砂を噛むような暮らし

砂漠 と 裁く。。。

同音異義語って 不思議に繋がっている。

 

こんにちは。

みんみです。

 

砂漠などの環境が厳しいところでは やられたらやり返す、という厳しい教えが広まりやすいそう。

そうでないと生き残れない、という現状があるせいかもしれません。

 

でも、 投げかけたものが返ってくる、投げかけないものは返ってこない。

それが宇宙の法則。

 

裁く者は裁かれる、 裁かない者は裁かれない

裁けば裁くほど 裁かれることになる。。。

 

裁くという心の刀。

 

その刀が 外側に向けられると

~しなければ、~であるべき、と

使命感や 正義感ばかりが走ってしまい 

自分は正しい、周りが間違っている、と 傲慢になってしまい、

 

反対に その刀が内に向けられると

自分が悪いと

罪悪感や 無価値感を感じ

卑屈になってしまう。

 

自分(内側)だろうが 周り(外側だろうが) 

裁けば裁くほど 心の中は カサカサと乾いていくばかり。

心が砂漠化してしまうのです。

 

そこで、何かを裁きたくなったら 砂漠をイメージ。

乾いた風が吹き 砂煙が巻き上がる その広大な砂漠に

たった一人でポツンといる自分を想像。

 

自分が正しいと思い刀を振り回したり 自分はダメだと自分に刀を向けていたり、

裁くという行為を投げかけて得られるものが 砂漠でぽつん。

 

周りでも 自分でも 裁きたい時って 大抵 人と何かを比べる時。

自分と人との差が受け入れられずに 苦しくなってしまう。

そこから裁きの心が生まれます。

 

砂漠化した心で歩む人生なんて つまらないもの。

 

本当は 人と自分の差なんて 小さなものなのに、

それをとんでもなく大きなものにしているのが 心のものさし。

 

心のものさしの メモリが小さくなればなるほど

人と自分の差も大きなものに。

そうすると 裁かなければいけないものが増えて

どんどん自分が苦しくなることに。

 

心のものさしのメモリを 精一杯大きくしていくこと、

そうすれば心に潤いが戻ってきます。

 

そっか、そういう考え方もあるのね。

 

そう思ってみる。 それだけなんですよね。