今までの先生という視点は洗脳だったのかな。

どこから学ぶか? 誰から学ぶか?

結論を言えば 自分の周り、全てから。

 

こんにちは。

みんみです。

 

幼稚園、小学校、中学校、高校、そして たぶん 短大又は大学。

全部で 十何年。

 

3歳とか 4歳とか、

もう 物心ついたときから いつも先生、という役割の人がいます。

 

そして 一日のほとんどを過ごす学校という みんなが当たり前のように 毎日通っている場所では 先生という存在は 絶対的で、

 

教える人 イコール 先生

教えられる人 イコール 生徒

 

という図式が出来上がってますよね。

 

そして 先生は いつも 生徒の上に 立つもの、と教えこまれます。

 

これを盲目的に 疑うことなく 信じていました。

 

でも、学生時代というものが終わって 一歩社会に出てみると

 

なんか違う。。。

 

去年 職場に入った高卒の年下の子が 今年 職場に入った大卒の年上の子よりも

その職場に長くいるので 高卒の子が先輩になり

いろいろ教えてくれる職場の先生になるんです。

 

なんで年下の子にいろいろ言われなきゃいけないんだろ?っていう違和感。

 

でも そのうち 視点が変わると そうじゃないんだって気づけます。

 

一緒に入社した マナーのいい同僚に 接客を教わるかもしれません。

もしかしたら 後輩から 物事に対する取り組み方、態度なんかを 学ぶかもしれません。

 

はたまた 子どもから 柔軟な考え方を 学ぶことがあるかもしれません。

 

先生とは こうあるべき、という、 

長年 洗脳するかのように教えこまれた考えを一度捨て 

少し 心を開いてみると

周りには 自分にいろいろと教えてくれる先生ばかり。

 

ストレートに尊敬できるような人から

反面教師になる人。

そして 今までは そう思ってなかったけど

ちょっと見方を変えれば あれ?っと気づかせてくれるような存在の人。

 

学ぶ、というのは 何も 学業や 特別なことだけではないのです。

言葉遣いやマナー、態度、物事に取り組む姿勢、考え方など たくさんあります。

遊びながら学ぶってことだってあるんです。

 

昨日 出会った人、今日 出会った人。

明日 出会うかもしれない人。

 

成長していく人って 全ての事を学びに変える力があります。

でも この力って 特別なものじゃないんです。

 

今までの習慣や常識を 少し疑ってみて、

心が開けるかどうか。

 

ただ それだけなんですよね。